大阪 スタジオ 防音室 Real One 短編 忍者ブログ

Real One

イザミカSSブログ。

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安心の中

別に自分は風邪を引きやすい体質ではなかったと思う。
地元にいた時に全く風邪を引かなかったとは言わないが、頻繁に引いていた記憶はない。……うん、ない。引いたとしても酷くなる前に市販薬とかでどうとでもなっていたはずだ。
今みたいに関節の痛みに襲われ、ガンガンと鳴り響く頭痛に悩まされ、ぼーっとするほどの高熱に見舞われたことなんてなかった。学校が春休みで本当に良かった。食材を動けなくなる前に買い貯めしておいて良かった。まあ食欲なんてないに等しいから食べれないし、カップ麺が中心で食べる気が起きないんだけど。
額に置いているタオルが温くなってきたのを感じ、帝人はギシギシと音が出そうな身体を無理やり起こし、近くの洗面器の水にタオルを浸す。こっちの水も温くなってきた気がする。そろそろ替えなくては。でもそれも面倒くさい。

「はぁ……」

零れる溜息も何だか熱い気がする。仕方ない。ちょうど風邪薬がなくて自己治癒能力に頼るしかないのに、ろくな栄養もとらずただひたすら寝てるだけなんだから、快方に向かうには相当時間がかかるだろう。当然体温計なんて気の利いたものもないから何度あるのかわからないが、朝より上がっているのは間違いない。日が落ち、春先のひんやりした空気が室内に満ちているはずなのに全く寒いと思わないのも相当ヤバイ。
関節の痛みに顔をしかめながら、ふらふらとした足取りで帝人は立ち上がる。洗面器を持ち上げるその動作さえも苦痛で顔を歪めた時、安っぽいインターホンの音が部屋に響いた。
こんな夜に誰だろう。いや、可能性としては幼馴染かもう1人しかいない。
でも幼馴染は今日はずっとバイトでその後も用事があるから明日様子を見に来る、と昨日のうちにメールをくれた。それから帝人は連絡を入れていないので、ここまで悪化してることを知らないはずだ。もし知っていたらバイトはともかく、用事を断って来てくれるだろうから。
ということは、残るのは1人だけ。できれば戸を開けたくない。が、蹴破られるのも困る。
仕方なしに帝人は洗面器を台所に置き、ふらつきながらも玄関のドアを開けた。

「こんばんは帝人君」
「こんばんは臨也さん。帰って下さい」
「あははははご挨拶だねぇ。随分辛そうだから助けに来てあげたのに」
「……僕、風邪引いたって言ってませんよね」
「聞いてないよ」
「…………何で知ってるんですか」
「メールも着信も完全無視してるから、具合悪くて寝てるのかなって思って」

そういえば携帯はマナーモードにしていた。
元々メールをくれる相手は少ないし、頻度の高い幼馴染からの連絡はないだろうと思って、音を消しバイブも止めていた。体の良い電源オフと同じである。とにかく静かに寝ていたかったからの処置なのだが、まさか臨也から連絡が入っているとは。
こんなことなら1度は出ておくべきだったと思いつつマナーモードを解除し、帝人は「すみません」と心のこもらない謝罪を口にした。

「それにしても本当に辛そうだねえ。寝てなくていいの?」
「あなたが来たから起きたんですけど……」
「それは悪かったね。ほら、寝てなよ」
「えっ、ちょっ……」

具合が悪いんだから帰って欲しい。そう言うより早く臨也は帝人の肩を押して室内に上がりこむ。そして帝人を強引に布団に寝かせると、当たり前のようにその近くへ荷物を置いて腰を下ろした。
にこにこ笑って、何をするでもなく。

「……あの」
「ん?」
「見てるだけなら、そこの洗面器の水変えてこのタオル浸して絞って僕に渡してくれると嬉しいんですが」
「え、俺に動けって言うの?」
「何しにきたんですか」
「弱ってる帝人君を観察しに」

だって珍しいじゃない、と至極当然のように言われ、帝人は怒るのも馬鹿らしくなった。正確には怒る体力がなかっただけだが。にこにこ笑って帝人を見ているだけの臨也へ文句を言うのは早々に諦め、帝人は再び布団から起き上がって洗面器の水を替えた。
ざぁざぁと音をたてて溜まっていく水の音を聞きながら、ぼんやりと水の流れを見る。小さな渦ができている。手をいれればヒヤリとして気持ちいい。いっそここに頭をつっこんだら気持ちいいんじゃないだろうか、なんて。
そんなことを考えていたら背後から手が伸びてきて蛇口をひねられた。

「環境破壊はいけないなぁ」
「あ、はぁすいません」
「水替えたんなら早くそれ持って布団に行きなよ。顔真っ赤だよ」

だから、そう思ったら代わりに運んでくれと思う。しかし臨也は1人手ぶらで戻り、早く来いと言わんばかりに手招いていた。挙句「熱あがっちゃうよ」ときた。そう思うなら寝かせておいてくれ。
熱っぽい溜息をごくりと飲み込み、帝人は水がたっぷりと入った洗面器を抱えて布団に戻る。温くなったタオルを冷たい状態に戻してから額に乗せれば、あまりの気持ちよさに吐息が零れた。
目を閉じて寝てしまいたい。が、鬱陶しいほど視線を感じる。目を閉じていても感じる位だから、どれだけ凝視してるんだろうと思う。でも目を開けると負けな気がして。帝人は目を閉じ、口を噤んだ状態を保ち続けた。
すると頭上から声が降ってくる。

「ご飯食べたの?」
「食べれる食材がないんで食べてません」
「薬は?」
「ありません。買いに行ける体力がないんで行ってません」
「タオルとか古典的なもの使わないで冷えピタとか使えば?」
「そんなお金ありません」
「ふぅん。貧乏って大変だねえ」
「そうですね」

嫌味か素で言ってるのか、目を閉じている帝人にはわからない。声音だけで本心を悟らせるほど臨也は迂闊じゃないし、帝人も察するほど臨也を理解している訳じゃない。でも多分嫌味なんじゃないかと思う。
というか。

「本当に、何しに来たんですか臨也さん……」
「だから君の顔を見に、って言っただろ?」
「じゃあ見たんだからもう帰って下さいよ。本当にしんどいんです」
「だろうね。早く寝た方がいいよ。薬もないし食べてもないんならさ」
「……そこで薬を買いに行くとか何か作るって事は」
「俺がすると思う?」
「期待してないので大丈夫です」

会話もしんどくなってきて、帝人は口元まで布団を引きあげた。もう喋りたくないという意思表示だ。それでも「飽きたら帰って下さいね」と布団越しに告げ、帝人は気だるさに負けて意識を手放す。
掠れた声と相まってすごく聞き取りづらかったのだろうか。臨也からの返事はなかった。





***






遠くの方からカタカタと小さな音が聞こえた気がして、帝人はふわりと意識を浮上させる。眠る前はあんなに酷かった頭痛が消えていて、ああちょっとは良くなったんだなと思った。もしかしたらさっきより熱がちょっと下がったんだろうか。確認するのが面倒だから憶測でしかないけど。
意識は完全に浮き上がることはない。とろとろとまどろみ、ちょっとだけ良くなった体調にホッとしながら、帝人は音の正体はなんだろうと考えた。
カタカタカタ。カタカタッ。カタタタタ。
どこかで聞いたような音。帝人自身も立てたことのある音。なんだっけ。
ああそうだ、これはPCのキーボードを叩いてる音だ。でも誰が叩いてるんだろう。それに自分のPCのキーボードの音とちょっとだけ違う。誰のPCだろう。誰が部屋にいるんだろう……ああ、そうだ、臨也さんが来ていたんだっけ。まだ帰ってないのか。それともあれからあまり時間が経ってないのだろうか。
うっすらと目を開けると、薄暗い部屋にぼんやりと明かりと共に人影が浮かび上がっているのが見えた。モニターの光と臨也の影だ。真剣な顔でモバイルPCに何かを打ち込んでいる。多分仕事だろう。そういえば大概手ぶらの彼が今日は手荷物を持っていたけれど、あれはモバイルPCだったのか、と今更気付いた。

帰れとは言ったものの、風邪を引いている時は何となく人恋しくなる。身体が弱くなるのと一緒に心が弱くなるものかもしれないが、誰かが近くにいるとホッとするものだ。
だからこうしてちょっとだけ意識を浮上させた時、臨也がいてくれたのが少しだけ……ほんの少しだけありがたいと思う。
何しにきたんだと今でも思っているし、モバイルPCを持ち込んで仕事する位なら早く帰った方がいいんじゃないのかとも思うけれど、近くにいてくれることが嬉しかった。
到底本人に伝える気はないし眠りたい気持ちの方が強いので、帝人は臨也に声をかけることをせずに目を閉じ、再び意識を手放しかけたその時。
キーボードを叩く音がぴたりと止まった。
おや? と思っていると額に置かれていたタオルがふわりと宙に浮き、代わりにほんのりと冷たい手が額にあてられた。誰の手なんて考えるまでもない。これは臨也の手だ。
まるで帝人の体温を調べるように置かれた手は、あてられた時と同じようにそろりと離れていく。と、同時に小さな吐息が帝人の頭上から聞こえた。
あれ?
え?
今の、なんとなく……



安心した、って感じの溜息に聞こえたのは僕の気のせい?



ぼんやりした頭でそんなことを思っていると、ちゃぷん、と水音が聞こえる。その後じゃぶじゃぶとタオルを洗う音がして、次に絞る音がして、最終的にひんやりとしたものが額に置かれた。
冷たい手が頬を撫でていく。
そういえばさっき触れた手は冷たくて気持ちよかった。もしかして、帝人が寝ている時も何度かタオルを濡らしてくれてて、そのせいで冷たくなってしまったんだろうか。
聞きたい。確かめたい。
そう思う気持ちとは裏腹に意識はどんどん沈んでいく。
確かめたかったのに残念だ。
でも一番残念なのは、完全に意識を手放しかけた時、臨也が何か言った気がしたのにそれを聞けなかったことだった。





***





携帯の鳴る音で目を覚ます。
もぞもぞと布団から手を伸ばし。音の発生源を掴んで液晶画面を見ると幼馴染からの着信だった。
浮かんでいるデジタル時計の文字と窓から差し込む光から考えて朝と言っても問題ない時間である。多分心配して早めに来てくれたのだろう。

「もしもし……」
『あ、俺俺。朝っぱらからアーンド寝てたとこ悪いけどさ、ちょっと鍵開けてくれ』
「わかった、ちょっとまってて」

一旦通話を打ち切り、額のタオルをどかしてから起き上がると、関節の痛みが昨日より和らいでいることに気付く。でもまだぎしりと痛むし熱っぽさがあるから、完全に治った訳ではなさそうだ。
ピークは過ぎたのかなぁと思いながら玄関の鍵を開けた時、そういえば昨日来ていた臨也は一体いつ帰ったんだろうと思い出す。
ドアを開ける前に後ろを振り返って狭い部屋を見回すが、臨也がいたという形跡はどこにもなかった。夢だったんじゃないかと思うほどである。
でも額に触れた冷たい手の感触も、小さく零れた溜息の音も、帝人は確かに覚えてる。
昨日臨也がこの部屋にいた証を、帝人はちゃんと記憶に刻んでいた。

「おい、鍵開けたんなら早くドアを開けてくれてもいいだろ!」
「あ、ごめんごめん」

中々開かないドアに痺れを切らしたらしい幼馴染がガチャリとドアを開けて入ってくる。その両手には大きなビニール袋が2つぶら下がっていた。色々買ってきてくれたらしい。

「どうせ帝人のことだから何も食ってないし薬もないだろうと思って、優しい優しい俺様がアレコレと買ってきてやったぜ」
「うん、ありがとう正臣」
「お礼は身体で返してもらうから気にすんな!」
「うん、元気になったって証拠に思い切り殴ってあげるよ」
「そういう返し方は俺の好みじゃないぜ! …まあいいや。まだお前だるそうだし今日はこの位にしといてやるから、病人は寝ろ寝ろ。今レトルトの粥をあっためてやるから」
「助かるよ」

袋をガサゴソと漁りながら言う幼馴染の言葉に甘え、帝人は再び布団に逆戻りする。
そしてついさっき傍らに置いたタオルを手に持ってみた。
生温い。
でもなんとなく今はそれが心地いい温かさに思える。
それは、多分。

「……今度、お礼しなくちゃな」
「何か言ったかー?」
「ううん、何も」

小さく笑って帝人は布団を口元まで引き上げた。





『おやすみ』
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