イザミカSSブログ。
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二人分の洗濯物を、今日だけで何度も歌っている大好きなアイドルの新曲を歌いながら、ベランダに干していく。面倒な臨也にてこずって低空飛行気味だった気分が一気に浮上した。やっぱりこの曲は偉大だ。素晴らしい。歌っている本人もとても素敵で可愛い。別に恋愛的な意味で好きなんじゃない。しかし恋愛的な意味以上に好きなのには違いない。
「あぁもう、ほんっと素敵だよね園原さんの歌声も本人も……! ああいうのを天使とか歌姫とかっていうんだよねきっと!」
考えただけで幸せになった。低空気味だった機嫌ははるか宇宙まで届かんばかりに浮上し、辛辣な態度しかとれなかった臨也にも優しくしてやろうと思うだけの余裕が生まれる。
いや、元々臨也に対して冷たい態度をとろうとしてとっている訳ではない。別に嫌いではないのは確かだ。むしろ彼の言う通り、悪い感情がないからこそこの場所で働いているのだし、家政婦か何かかと思うような家事一般だってこなしているのだから。
「臨也さん」
「何」
洗濯物を全て干してから居間に戻ると、臨也はむすりとした顔でパソコンに向かっていた。拗ねてはいるものの、仕事はちゃんとしている辺り偉いと誉めてやるべきだろう。
「お茶、淹れ直しましょうか。それともコーヒーにします?」
「……コーヒー。ミルクだけ入れて」
「はい。ちょっと待ってて下さいね。お茶碗洗ってから淹れます」
にこりと笑って言うと、ちらりとパソコンから視線をあげて帝人を見つめてくる臨也と視線が合う。それにまたにっこりと微笑めば、臨也はぱちぱちと目を瞬かせ、うろうろと視線の彷徨わせ、最終的にまたパソコン画面に視線を戻してしまった。多分、いきなり機嫌を浮上させた帝人に驚いてどうしていいかわからなくなったんだろう。
そういう所は可愛い人だなと思う。男の、しかも兄よりも年上の人に評する言葉ではないが、そう思うのだから仕方ない。
ふんふんと上機嫌のまま茶碗を洗い、臨也希望のコーヒーと、自分用にカフェオレを淹れてから居間に戻り、そっと臨也の作業の邪魔にならない場所にカップを置く。
「熱いから気をつけて下さいね」
「うん、ありがとう」
「僕のすることってありますか?」
「んー……今はないかな。午後にデータが届くから、それの整理をお願い。量が多いし、もし買い物に行くなら今の内に行った方がいいかもしれないよ」
ずず、と淹れたてのコーヒーを啜りつつ、マウスをカチカチ動かす臨也は、相当画面に集中しているのか帝人を見ようとしない。
「そうですか? じゃあこれ飲んだらちょっと行ってきますね。今日、お米が安いんです」
「ふぅん……じゃあ俺も行く。三十分待って、終わらせるから」
「え、大丈夫ですよ?」
確かに臨也やサイケと比べれば力はないけれど、非力という訳じゃない。腐っても道場主の妹だ、そこらの女の子よりは鍛えている自信はある。……弱いけど。
第一、臨也の言葉ではないが彼は雇い主であり、帝人は従業員である。買い出しだって仕事の一つと思えば、多少重い荷物を買うからと言って雇い主を駆りだす訳にはいかないだろう。
しかし帝人のやんわりとしたお断りの言葉に返事を返す余裕がないのか、それとも無言で却下しているのか、仕事に集中してしまった臨也にはもう何を言っても届かない。帝人は眉尻を下げて困惑しつつも、それでも彼のさりげない優しさに「ありがとうございます」と、小さく感謝の言葉を漏らした。
** ** **
「えーやだ。面倒くさい」
「……」
心底面倒そうに即答され、帝人は口に運ぼうとしていた出し巻き卵をうっかり皿に落としてしまった。
相談した帝人が馬鹿だったのだろうか。
すっかり不機嫌に戻ってしまった帝人に、臨也はやれやれとため息をついた。
「そんなことで不機嫌になんないでよ」
「そんなことってなんですか、一大事です。園原さんが困ってるのに」
「だって俺、園原杏里とかどうでもいいし」
「……最低です」
帝人が臨也に相談した事の詳細はこうである。
珍しく長文だった杏里のメールには、少し困ったことが起きてしまったのだと書かれていた。
超人気売れっ子アイドルとなった杏里には大勢のファンがいる。そうすると、その中にはどうしたって困ったファンが出てきてしまう。ファン行為が行き過ぎて、ストーカーのようになってしまうのだ。
ちょっと困ったファンの方がいるんです、と杏里は大変控えめな表現をした。
しかし詳しく話を聞きだしてみると、その困ったファンは、悪質なストーカーそのものに帝人には感じられた。
脅迫染みたファンレター、毎日のように届けられる異常な量の花やプレゼント。どうやって知ったのか、携帯にも毎日ファンメールが届き、電話もかかってくる。そして、四六時中いつも見られているような感覚。
こういったファンは、周囲の人間に危害を加える可能性もあるので、対応を間違えると危険だ。
来月に帝人と杏里はお茶をする予定だったが、このストーカーが周囲の人間に手を出す可能性を考え、「申し訳ないけれど、会う予定は延期にして欲しい」と杏里は帝人にメールを送ってきたのだ。
それより何より杏里は大丈夫なのか、とすぐに返信をしたところ、今のところ大した危害は加えられていないから大丈夫だとすぐにメールの返事が来た。
しかし、時間の問題かもしれない、と帝人は思う。そういった人間は、タガが外れるととんでもない行為に出たりすると聞いた。対処のしかたを誤って、よりしつこいストーカーにしてしまうのも怖い。
何かが起こってしまってからでは遅いのだ。
「園原さんに何かあったらどうするんですか!」
「どうもしないけど。俺関係ないし。園原杏里からそういう依頼を受けたわけじゃないんだろ?」
「臨也さんなら情報駆使して姑息な手を使って、どうにでもできるじゃないですか」
「それまったく褒めてないからね、帝人くん」
もぐもぐとピーマンの肉詰めを咀嚼し、飲み込んでから臨也は「あのね」と呆れたように口にした。サイケと違い、やはり大して美味しくもなさそうに食べる様子に帝人はますます苛々としてしまった。
「大体、俺は情報屋であって、万屋じゃないの。たとえそんな依頼を持ちかけられたところで、断るだけだよ。もっと金になる仕事は他にあるし。それに何度も言うけど、俺は園原杏里に興味もないし、関係もない」
「……臨也さん、冷たい」
「なんとでも」
「臨也さんのケチ」
「臨也くんのエロー変態―役立たずー」
「サイケ、お前は黙ってろ」
大根の煮物を頬張りながら、臨也がサイケを横目に睨むと、サイケがべぇ、と舌を出した。帝人も同じように舌を出したら、臨也が心底呆れた顔をした。
「……とにかく、俺は関わる気はないからね。特に今は他に急ぎの仕事もあるし」
「……」
「だからといって、帝人くんも勝手に関わらないように。警察に任せておくんだよ」
「……何でですか」
職場の上司とはいえ、帝人の行動まで制限する権限など臨也には無いはずだ。
「危ないから駄目」
「……」
「帝人くんが怪我したら、駄目」
存外真面目な顔で言われて、帝人は少しだけ頬を赤らめた。心配されているらしい、と気付いて、こそばゆい気持ちになる。どうも臨也の中で帝人は身内扱いらしく、こういう時に、本当の家族のように大事にされていると感じる。
「危ないことは絶対しないこと。帝人くん一人で何とかなる問題でもないんだから、警察に任せること。わかった? ……帝人くん、ハイは?」
「……」
「返事」
「……はぁい」
「お前……園原杏里ちゃんに背丈が似てるな。まあ、もちろん胸はねぇけど」
意味がわからない。けれど男が浮かべている下卑た笑みに、背筋がさっと寒くなった。
しまった、今日は竹刀を持っていない。どうしよう、どうやって目の前の男を退ければいいのだろう。帝人の肩を掴む男の手に、ぎりりと強い力が込められ、そのまま地面に引き倒されそうになる。
――まずい!
「馬鹿野郎! 帝人くんの胸はなぁ! これから俺が時間をかけて育てるんだよ!」
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