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黒猫の邂逅

この世界には人間の他に動物がいる。街中で見かけることが多いのは、その中でも猫や犬といったものだ。
動物と人間の違いは獣の耳や尻尾があるかどうか、という外見的特徴によって判断される。多少人間よりも優れた身体能力や視覚、嗅覚等を持っているが、それ以外は人間となんら変わらない。人間と同じ二足歩行だし、人間と同じように喋ったり働いたりする。ただし愛玩動物として人間に飼われている動物もいて、それらは自立している動物よりも「動物」らしい生活をしている。
池袋という街は人間と動物が入り混じる日本一混沌とした街だった。
その混沌とした街に折原臨也はいた。猫である彼は誰よりも猫らしかった。自分の興味のある事はとことん追求するけれど、飽きたらすぐに捨ててしまう。しなやかな身のこなしで上手く立ち回り、問題が起きても絶対にヘマはしない。理屈をこねまわし、相手を論破したかと思えば、突拍子もない理不尽な事を言って相手を驚かせる。
とにかく気まぐれな猫だった。
気まぐれな性格を臨也自身自覚している。集中力がないのではない。むしろ結構ある方だろう。集中力があるために興味の湧いたことをすぐに自己解決させてしまうので、飽きては捨てていくのだ。

そんな臨也が今捨てようとしているのは「居場所」だった。
池袋に縄張りを持つ臨也だが、そろそろ違う土地に行ってみようかと思い始めていた。池袋という土地は好きだ。人間と動物がカオス状態にまじりあっていて、観察しているだけでも飽きない。だから移動するにしても、あまりこの場所から遠くには行かないようにしたいとも思っている。でも、移動するという事実はほぼ臨也の中で固まりかけていた。
何せ最近臨也を見つけたらすぐに色んなものをぶん投げてくるうるさくて鬱陶しい人間がいて、さすがに面倒くさくなったのだ。
最初は色々とからかう楽しみがあった。本当はゴリラか何かの動物なんじゃないのかと思うほど、人間としては異常な身体能力を持っているのも興味深かった。でも何を言っても理屈が通じなくて苛立ちが募ったし、何でもかんでも暴力に訴えるのには辟易する。
裏路地を歩きながら臨也は舌打ちをした。
全く、何だってあんな人間に遠慮するみたいに俺が移動しなきゃいけないんだ。……いや、人間に遠慮してるんじゃない。新しい土地にだって面白い事もあるだろうし、やろうと思ってる仕事についても動きやすくなるだろう。そう、そうだ。移動する理由はそうなんだ。
言い聞かせるかのように心で何度も「そうなんだ」と言っているうちにささくれだっていた気持ちが落ち着く。鼻歌でも歌いたくなるレベルに気分も上昇した時、臨也の頭部についている黒い猫耳がかすかな音を拾った。

「……なんだ?」

こんな人も通らない、通ったとしてもタチの悪い輩しかいないような裏路地でする音なんてロクなもんじゃない。ゆらりと尻尾を揺らし、面白いことが待っている予感に胸を高鳴らせながら臨也は音のした方へと近づく。
近寄ると音はだんだん大きくなる。そして大きくなるにつれ、臨也は音の正体になんとなく予想がつき始めていた。それと同時に、さほど面白くない予感が高まってくる。引き返そうかと足をとめかけた時、臨也は音の発生源が目の前にあった事に気付く。
ちょこんと体育座りをした小汚い格好の子猫。人間でたとえるなら小学校に入るかどうか位の年齢に見える。その猫は、まん丸い目で臨也を見上げ、臨也と同じ黒い猫耳をぴこぴこと動かし、そして。


ぐ~きゅるるるるるる。


「……………」
「………」

腹の虫を盛大に鳴らした。その音は臨也が耳にした「かすかな音」と一致する。つまり、臨也はこの子猫の腹の虫に惹かれてやってきたということで。何が「面白いことがある気がする」だ! と自分で自分を罵りたい気持ちになった。
つまらない。つまらないつまらないつまらない。頭の中でその単語を繰り返しながらも、臨也は子猫を見つめる。すると子猫もまた、じっと臨也を見上げてきた。
真黒くて大きな目は純粋な子どもの目以外の何物でもない池袋という混沌とした街に不似合いな、それこそ田舎からでもやってきたのかと思う位に純朴なオーラを漂わせている子猫が、何故こんな所にいるのか。
ふと湧いた疑問を、直接本人にぶつけることにした。

「君、なんでこんな所にいるの?」
「え、えっと……お、おなかすい、て……」
「こんな所に食べれそうなものないのなんて、見たらわかるでしょ? それとも君はそんなのもわからない位にお子様なのかな」
「そ、そうじゃなくて! お、おなかすいて……人からおにぎりもらって、おれいゆわなきゃ、っておもって、でもきづいたらずっととおくにいて、それで、おいかけて……それで……」
「……ふーん」

人から食べ物を恵まれて食べてる間に見失って、迷子になって、結局またお腹がすいて、このザマか。見えなくなった時点でお礼を言う事を諦めれば良かったのに、本当にこの子猫は馬鹿がつくほど純粋らしい。
臨也の視線に居心地の悪さを覚えたのか、それとも自らの馬鹿さを恥じているのか、子猫は顔を赤くしてモゾモゾと身体を動かし、貧相な尻尾をぎゅっと足の間に挟み込んでいる。おかげで小さな身体が更に小さくなってしまった。
なのに、子猫の腹の虫はどんどん大きくなる。きゅるるる、きゅるり。ぐーきゅるり。まるで歌っているようなそれを、子猫は真っ赤な顔で封じ込めようと更に身体を小さくする。でも聞こえなくなるはずもなく、腹の虫は元気一杯に輪唱するかのように喚きだした。

「あはっ……あはははは! あははははははははは!!! き、君、それちょっとすごすぎじゃないの? どんだけご飯食べてないの? あははははは!!」
「………」

遠慮なく笑う臨也と、羞恥に顔をこれ以上ないほど染め、じわりと涙を滲ませて俯く子猫。頭から生えている黒い耳がぺたりと垂れさがったのを見て、臨也は笑うのを止めた。ちょっといじめすぎたようだ。

「それで? 君はどこから来て、どこに行くつもりなの?」
「……ここで、くらしたい、です」
「は? 池袋に? 君、まだ子どもでしょ? 親は?」
「いません」
「……ご主人様は?」
「そ、そんなのいません! ぼく、あいがんどうぶつじゃないです!」
「ふぅん、そうなの? 君なら高く売れるかもしれないのにね」
「っ……」
「ガキなら使い勝手もいいだろうしね。男のご主人様にも可愛がってもらえるかもよ?」

子猫はびくりと身体を震わせ、背中を預けていたビルの壁にぺたりとくっつく。臨也の何気ない言葉に恐怖を覚えたらしい。一応、この小ささで「売買」について理解しているのなら、馬鹿ではあるけれどもそれなりの知識はあるようだ。
でも、やっぱりこの子猫は馬鹿だ。ガキのくせにこの街で暮らしたいなんて、分不相応すぎてまた笑ってしまいそうだ。夢見がちなのは結構だが、もうちょっと考えればいいものを。
そう、言ってやろうと思った。でも臨也はそれを言葉にするのをやめた。
子猫が顔を上げ、真っ赤な顔で臨也を睨みつける目がひどく気に入ったからだ。臨也の一言にあんなに怯えたくせに、よくよく考えたら馬鹿にされて腹が立つと思ったのだろう。子どもなりにきつく睨みつけるその傲慢さが気に入った。

「どうして池袋に住みたいの?」

それは真剣な問いだった。冗談でもからかいでもない。純粋な疑問。そしてその返事次第で己の行動を決めようと、臨也は子猫の返事を待った。
すると子猫は臨也を睨みつけていた視線を一変させ、きらきらと輝く宝石のような目で、どこかうっとりとした空気で話しだす。

「ここにいたら、まいにちが楽しいです。おとうさんやおかあさんといた所より、ずっとずっと楽しいです! ぼくはもっとおもしろいものが見たいんです。おもしろい所に、いたいです」

臨也は口端を持ち上げて笑った。
つまらないものを見つけたと思ったけれど、とんでもない。
これは限りなく面白いものを見つけた。それも原石だ。これから磨けばどんどん面白くなるに違いない。自分の手で磨き上げていくのはきっと楽しい。最近はすぐに飽きるものばかりだったけど、これは年単位で楽しませてくれるだろう。
面白い、面白い面白い面白い! 臨也は頭の中でその言葉を繰り返しながら、子猫に満面の笑みを向けた。

「気に入った! いいよ、俺が君に衣食住の保証をしてあげる。ただし池袋に住むんじゃなくて、ちょっと池袋から離れた所に住む事にはなるんだけど。でも池袋と同じ位に楽しい場所に住むし、ここに来たければいつだって連れてきてあげる。その代わり、君は俺の言う通りにしてくれないとダメだよ?」
「……ゆうとおり……?」
「そう。言う通り。俺がダメって言った事はしちゃダメ。俺がしてって言った事はやって。ただそれだけのことだよ。できる?」
「は、はい!」
「ん。じゃあほら、立って。早速だけど今日中に住処を決めちゃいたいから不動産屋に行くよ。……その前に君、シャワー浴びて着替えないとダメだね。仕方ないな、1度家に帰らないとね」
「あ、あの、それよりぼく……」

きゅるるるる。

「……あはははは!!! そう、そうだったね! シャワーとかより何よりご飯だよね! ははははごめんごめん!」
「………わらいすぎです」
「ごめんってば! お詫びに御馳走用意してあげるから! ええと、君、名前は?」
「帝人です」
「帝人君ね。じゃあ行こうか」
「はいっ」

子猫の小さな手を握りながら臨也は歩きだす。歩幅が全然違うので、いつもよりゆっくり歩いてやれば、子猫は安心したように臨也の手を握り、ぽてぽてとついてきた。さっきまであんなにへたれていた耳も、今ではピンと立っていて、臨也の言葉を聞き洩らさないようにでもしているのか、心持ち臨也の方を向いている。
出会ったばかりの他人を信用するな、と教わらなかったのだろうか。まあそんな所も含めて面白いと思うので、臨也は何も言わないことにした。
とにかく、この子猫との生活が楽しみで仕方ない。
この子猫は、この混沌とした街でどう変貌していくのだろう。どうやって順応していくのだろう。順応できずに逃げ出すのだろうか。それとも順応しすぎて歪んでいくんだろうか。考えただけで楽しい。
裏路地を抜けてすぐに差し込む日差しの眩しさに臨也は瞳を細め、僅かに耳を震わせた。




余談。

「あ、あの」
「うん?」
「あなたの名前は……」
「ああ、俺は折原臨也。好きに呼んでくれていいよ?」
「えと、じゃあ………おにいさん?」
「うん、惜しいね!」
「え? じゃあ、おじさん?」
「うん、遠くなったね!」
「………お兄さんでおしくて、おじさんでとおいんですか」
「うん」
「……………あの、もしかして」
「なに?」
「お、おねえさん、だったんですか?」
「………………………そうなって欲しいなら今からスカート履いてあげるけど?」
「(ブンブンブンブンブンブンブンブン)」
「素直に名前で呼べばいいんだよ。臨也さんとか。ていうか名前教えたのに何でお兄さんとかって呼び方になる訳? 挙句おじさんって。俺はまだ20過ぎてないんだけど?」
「ごめんなさい臨也さん……」





黒猫の情報屋の近くには、必ず小さな黒猫がいるようになるのは、それから数年後のお話。
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