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「カンキンセイカツ」サンプル

『君は本当に傾危之士だね』


いいや、違う。
俺だけじゃない。








「ねえ、俺と同棲しない?」

本人もコンプレックスに思っているらしい童顔ぶりに磨きがかかったその表情に、臨也は笑みを深めて「だから、同棲しようよ。俺と」と同じ台詞を吐く。さすがに二度も同じことを言われた帝人の顔は驚きの色が濃くなった。もしこれでまだ呆けているようだったら、柔らかそうな頬を思いきり引っ張ってやる所だった。彼は命拾いをしたと思う。でも本当に命拾いしたと言えるのだろうか。否、言えるはずがない。何しろこの申し出は、臨也の腹の中では「同棲」という温いものではないのだ。
これは「提案」ではなく「宣言」であり、帝人の意思の確認はただのポーズで、拒否は許されない。
ずっとずっと、彼がダラーズの創始者としての片鱗を見たあの日から考えていた。彼を手元に置いておきたい。彼を間近で見ていたい。彼を、彼を、彼を。気付いたら頭の中は帝人のことばかりで、まるで洗脳されてしまったかのようだった。人間という種を愛する自分が、何故竜ヶ峰帝人という個人に執着するのか全くわからない。わからないからこそ、余計に知りたくなった。人間に関することで知らない事柄があるのは、許せない性分なのである。それがたとえ他者に害を与えることになったとしても、己の欲を満たすためならば仕方ない。

「臨也さんと、同棲ですか……?」
「そう。だって君のアパートって大地震に見舞われたらあっさり潰れそうな位にボロいでしょ。鍵だってあってないようなものだし、いくら男とはいえ未成年の一人暮らしの部屋としてはあんまり良くないんじゃないの?」
「はぁ」
「第一これから暑くなるってのに、部屋にシャワーがないのは不便だと思うよ。エアコンとかもないし、学校行く前から汗だくで汗臭かったら周りの人間がドン引くのは間違いないね。それに夏を乗り切ったとしても今度は真冬に銭湯まで行くのは絶対辛い。湯冷めして風邪引くのがオチだ。なのに看病する人がいない悲しい一人暮らしじゃ完治するのも時間がかかる」
「そりゃそうなんですけど……でも親から学費だけ出してもらってる状況じゃ、あの部屋の家賃が精一杯なんです。かといってバイトで収入を増やそうとしても、勉強を疎かにして成績が下がったりしたら、それこそ地元に強制送還ですよ」

困ったように眉尻を下げる帝人に、臨也は表面的には苦笑を浮かべる一方、心の内では快哉を叫んだ。獲物が餌に食いついた。そんな手応えを確かに感じた。
けれどそんなことを思っているなどとはおくびにも出さず、臨也は困った様子の帝人の顔を覗き込むようにして微笑んだ。

「だから同棲しようって言ってるんだよ。俺のマンションは部屋が余ってるから、帝人君個人の寝室だって準備してあげられる。今の部屋よりもずっと広い部屋をね。それに風呂はついてるし、洗濯だってコインランドリーに行く必要がなくなる。メリットだらけだろう?」
「臨也さんにとってのメリットがないじゃないですか」
「もちろんメリットはあるよ。君には家事全般を負担してもらうから。料理も掃除も洗濯も。その代わり家賃、光熱費、食費は全部俺が負担してあげる。要するにお金を出してあげるから、その対価として労働してくれってことさ」

すらすら淀みのない臨也の言葉に、帝人は戸惑いの色を濃くした。まあ無理もない。家事だけをしてくれれば今よりもずっと水準の高い生活をさせてやる、などと言われれば戸惑うに決まってる。まして知り合ったのがつい最近かつ、情報屋なんていう得体の知れない職業の男に言われたのだ。何か裏があるんじゃないかと勘繰るのは当然のことだ。
別に迷うのは構わない。戸惑うのだって気にしない。疑われることも慣れている。そもそも満面の笑顔で「その申し出を待ってました」なんて言われるとは思っていない。帝人がそこまで厚かましい性格をしているなんて思っていないから、この反応は臨也の予想通りだ。ただ、一緒に暮らしたいという意思を臨也が持っているということを、帝人に理解してもらえれば良かった。
なのに、竜ヶ峰帝人という人間はどこまでも面白い存在だったらしい。

「……僕、そんなに家事が得意じゃないですけど、それでもいいんですか?」
「……本当に俺と一緒に暮らしてくれるの?」
「え、やっぱり冗談でした? ご、ごめんなさい!」

赤く染まった顔の前でぶんぶんと両の掌を振る帝人に、臨也は一瞬呆けてしまった表情をすぐに苦笑へと改める。

「そうじゃなくて、そんなあっさり決めてもいいのかって言ってんの。一応俺も突飛な提案をしてる自覚があるんだよ? もっとちゃんと考えてから返事をしてくれても構わないんだ。もちろん、即決でOKしてくれるならそれに越したことはないっていうか、すごくありがたいし嬉しいんだけどね」

取り繕っている風なのがあからさまにならないよう、彼の誤解を解きつつ即決してくれたことに対しての感謝の気持ちを表す。すると帝人はまだ赤みの残っている顔ながらも、ホッとしたように笑った。

「冗談でも臨也さんの申し出はすごいありがたいですから。僕だってこの部屋より広い方がいいし、光熱費とかそういうの気にしないで過ごせるのは助かります。あ、でも本当に料理とか期待しないでくださいよ?」
「それはやってくうちに上達するさ。じゃあ、本当にいいんだね? 色々準備とか進めていってもいい?」
「はい。お願いします」




♂♀  ♂♀   ♂♀





ピンポーンと軽快な音が部屋に響いた。一瞬、何の音だか解らなかったが、インターホンの音だと思いついた。
この部屋に住み始めてから、誰かが訪ねてきたことが一度も無かったものだから、インターホンの音など聞いたことが無かったのだ。

「おかえりなさい、臨也さん!」
「……よう」

満面の笑みを浮かべた帝人が出迎えたのは、ほぼ二ヶ月ぶりに顔を合わせる幼馴染だった。ひどく緊張をした面持ちで、紀田正臣は帝人をじっと見つめていた。親友には悪いが、どうして正臣がここにと思うより先に、臨也では無かったことに落胆してしまう。

「久しぶり、帝人」
「うん、久しぶり」

固い表情のまま、正臣が口を開く。落胆が思わず表情に出たが、気を取り直して帝人も返事を返した。

「……なぁ帝人、俺がここを見つけるの、どれだけ大変だったと思う」
「え、臨也さんに聞いて、遊びにきてくれたんじゃないの?」
「そんな訳ねぇだろ!」

相変わらず緊張を孕んだ声。
よくわからない。そんなもの、部屋の主に聞いたに決まってるんじゃないのか。
だからそう答えたのに、正臣は急に声を荒げた。帝人を抱きしめていた腕が離れ、今度は手が肩におかれた。そのまま身体を前後に揺さぶられて詰め寄られる。

「俺や杏里が、どんだけ心配したと思ってんだよ、お前。俺は、使いたくも無い奴らを使ってようやくこの部屋を――ああ、そんなことはどうでもいい」
「正臣? 一体なんの話?」
「いいから、早くここから逃げるぞ」
「……はぁ!?」

正臣の言葉の意味がわからず、帝人は頓狂な声を上げた。一体何のことだ。きょろきょろと周囲を窺ったと思うと、正臣は帝人の手首を掴んで部屋から引きずり出した。正臣らしくない乱暴な仕草だった。くじいた右足に痛みが走り、バランスを崩してマンションの廊下に倒れこみそうになる。

「帝人、急げ」
「ちょっと待ってよ!」

靴すら履いてない。慌てて正臣に制止をかけて、せめて靴を履かせろと睨みつけた。流石に少し落ち着きを取り戻したのか、正臣は黙って帝人が靴を履くのを待っていた。しかし、相変わらず手首は握りしめたままだ。どうやら手を離す気は無いようだ。
何がしたいのだろう、この幼馴染は。部屋にこもりがちな帝人をどこかに連れ出したいのだろうか。ため息をついて、帝人は手首を離すよう促すが、正臣は頑として手を離さない。

「あのさ、正臣。出かけるんだったら、僕、書き置きしてこようと思うんだ。だからちょっと、手を離してくれないかな」
「……書き置き?」
「臨也さんに」
「必要ないだろ」

靴を履いている途中で臨也に書き置きを残しておかなければと思い、靴を放り出す。おい、と引きとめる正臣の手から己の手を引きぬいて、部屋にかけ戻る。「正臣と遊びに行ってきます。夕方には戻ります」メモ用紙にそう書いてリビングの机の上に残し、ようやく帝人は息をついた。これでとりあえず一安心だ。

「帝人!」
「ちょっと正臣、靴」
「いいから行くぞ!」

焦ったような、苛立っているような、聞いたことのない声音にびくりとした。言おうとしていた文句も引っ込んでしまった。怒っているのだろうか。だが帝人は正臣を怒らせるようなことをした覚えは無い。混乱する帝人はぐいぐいと引っ張られ、今度こそ引き摺られるようにして部屋の外に出される。
バタン。扉は重い音を立てて閉じてしまった。

「……正臣、どこ行くの?」
「駅だ」
「ねぇ、僕部屋にお財布忘れてきちゃった。取りに戻らないと」
「電車賃くらい俺が出す。とにかく早く新宿を離れるぞ」

正臣はやはり固い声のままだ。財布を取りに戻るくらい、大して時間もかからない。それなのに、何をそんなに焦っているのだろう。
大通りまで出て、横断歩道で立ち止まる。
信号は赤。平日の昼間だというのに、新宿は人が多かった。横断歩道の前にはたくさんの人が溢れている。立ち止まってようやく、正臣は帝人を振り返った。

「さっきから何焦ってるのさ。正臣らしくない」
「お前こそなんでそんな悠長にしてられるんだよ!」

正臣が荒げた声に、周りにいた人達が驚いてこちらを見た。だが、ただの子供同士の諍いだと判断したのか、視線はすぐにばらけた。人は多いが、他人に興味がないのが都会の人間の特徴だ。

「ゴールデンウィーク明けてもちっとも学校に来ないって杏里と心配してたら、いきなり自主退学だって聞かされて。携帯は繋がらない、アパートはとっくに解約されてる。お前の実家にも電話は繋がらない。慌てて人集めて情報集めたら、お前がゴールデンウィーク前に臨也さんと一緒にいるのを偶然見たって奴がいて、ようやくあのマンションに辿りついたんだ」
「……うん?」
「それで、ようやく今日、助けにこれた」

真剣な顔で見つめられる。いつもの冗談ならば笑い飛ばしてやろうかと思ったのだが、違うらしい。というより、正臣は何かを勘違いしているようだ。

「僕は、臨也さんと同棲を始めただけだよ?」

だから何も心配することは無いのだと笑みを浮かべると、正臣は苦いものを飲み込んだような、苦しいような、そんな顔をした。

「同棲? 同棲ってなんだよ。同棲ってのは学校を辞めてまですることか!?」
「だって勉強なら学校じゃなくても出来るし」
「そういう問題じゃねえんだよ……」

じゃあどういう問題なのだろう。わからない。

「なぁ、お前騙されてるんだよ、臨也さんに」

今ならまだ間に合う。だからこっち側に戻ってこい。
正臣はやっぱり訳のわからないことを言った。握られた手にぎゅ、とさらに力を入れられる。


騙す、何を。
こっち側、それってどっち?



「正臣、僕帰らなきゃ」
「……おい、帝人?」
「部屋を冷やしてないんだ。臨也さんが帰ってきたら、暑がる。クーラー入れておかなきゃ」
「何言ってんだ?」

ああ、早く帰らなくちゃ。
臨也の部屋に――臨也と帝人の部屋に戻らなければ。






「臨也、君はどうする気なんだい?」
「どうするって?」
「彼みたいな純真無垢な子を、どうするつもりかって聞いてるんだよ」








「愛してるよ、帝人君」
「僕も、あなたを愛しています」




実際の原稿から色々と切り張りをしているので、実際に読まれた時、印象が変わるかもしれません。
尚、サンプルだと窺い知れない位に、実際はもっと甘い話になっています。

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