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「Something There」サンプル


(表紙は餅さんから頂きました。ありがとうございます!)



男は、領主だった。
はやくに父を無くし、その後を継ぎ、とある地方を治める年若い領主。力を適正に使い、政をそつなくこなした。一見すれば、良い領主だ。しかし、彼は「反吐が出る」ような類いの人間だった。
彼は人間が好きだった。
特定の人が好きなのではない、人間という生き物そのものを愛していると言って憚らなかった。彼にとって、人間はそれほど素晴らしく、ひどく面白い生き物だ。
人間は身勝手で、我がままで、そのくせ時に、美しい行動をとる時もある。きれいなものは見せびらかす癖に、汚いものは隠す。
本能と理性の混じり合う、不思議な生き物。本能のままに生きてしまえば楽だろうに、何故だかそうしようとはしない。どうしてそこに理性を混ぜて無駄な行動をとったりするのだろう。
ああ、もちろんその無駄な行動も大変好ましい。彼はそう思っていた。そこが面白くて仕方がない。
人道的、非人道的。
そんな風にくくりをつけてどうするのだ。何が人道なのだろう。彼は思った。非人道的だって「人道」だろうに。人が選びとる道だ。それは人道でしかない。どんなものであれ、道は道。そこに是も非もあろうはずがない。
ああ、――ああ!
人間とはかくも素晴らしい生き物だ!
彼は心から楽しんだ。人間を観察するのが、とにかく楽しかった。時には条件を変え、奪い、与え、その行動と心の動きを見た。それを分析するのも、ひどく楽しかった。観察をし続けるうちに、ある程度行動パターンが見えてくるが、パターンに逆らう人間も出てくる。人間は、知らないことばかりだった。研究をすればするほど、知らないことがごろごろと出てくる。実験し、観察し、その結果を見る。何度観察を繰り返したとて、人間というのは研究し足りない生き物だった。
なんてことだ! どれだけ時間があったって研究しきれやしない!
だが、彼自身も人間だった。
悲しいことに、彼とて有限の命しか持たぬ人間だった。たかだか八十年で人間の研究など、完了するはずもない。
ああ、知りたい。
――俺はもっと人間を知りたいんだ!
彼は焦った。冷静な彼らしくもなく、焦った。
焦るあまりに、人間に対する扱いがひどく「非人道的」なものになった。賢い彼は、領民の反感を買わぬ術を心得ていたというのに、領主という地位はいとも簡単にそれを可能にしてしまった。
当然、領民は怒った。「反吐が出る」ような行為していても、彼は領主としての能力は確かだったから、許されていたのだ。だが、もはや「反吐が出る」では済まされぬような「非人道的」な振る舞いをするようになってしまった。
領民の不満に、とある魔女が立ち上がった。
魔女、妖精。
……死神?
まあ、呼び名など何でも良い。人ならざる彼女は、領主のもとへ向かった。
彼女の名はセルティ・ストゥルルソンといった。

「お前は本当に人間か」
「人間だよ、見ての通り。残念ながらね」
「……傲慢が、すぎる」
「自分の欲望に素直なだけだ」

魔女が傲慢な行いはやめろと進言しても、彼は自らの行いを悔い改める様子は無かった。もはや話し合いではどうにもならない。
そう判断した魔女は、彼を醜い野獣の姿に変えてしまった。もはや公の場に出て来られぬよう。人間の心など持たぬ、化け物に変えた。

「お前にはその姿がお似合いだ」

魔女は野獣を、深い深い森にある屋敷に閉じ込めた。そして、一輪の薔薇を彼に与えた。

「この薔薇は、お前の人間の心だ。この薔薇の花びらがすべて散った時、お前は人間の心などもたない、本当の化け物になる」

瑞々しい大ぶりの真紅の薔薇。その花びらは、いっそ黒く見えるほどの濃い真紅である。呪いの象徴だとは、毒があるとはとても思えぬ美しさであった。

「花びらが散る前に、お前が人を愛し、人に愛されるという「真実の愛」を見つけたならば、お前は本当の姿に戻れるだろう」

そういう呪いであった。
真実の愛を見つけられず、花びらが散ってしまえば彼は不死の化け物として永遠に生きていくしかないのだ。
これでこの領主も、改心するだろう。
魔女は満足して屋敷を去った。化け物になった自分に絶望し、人間に戻りたいと願い、真実の愛を見つけるだろう。真実の愛を知れば、もはや、非人道的な行いなどしないであろうし、化け物の姿でも彼を愛した人間と、幸せに暮らすであろう。そう考えた。
しかし心優しき魔女の思惑も、彼には通用しなかったのだ。

――この年若き領主は、歓喜した。
魔女に心から感謝した。
ああ、なんと愚かな魔女!

彼は野獣の姿で、高らかに吠えた。歓喜の叫びに薄暗い森の空気が震えた。
願ってもない呪いだった。
彼は不死の身体を手に入れた。どうしても手に入らなかった無限の時を手に入れた!
これで思う存分、人間を愛せるではないか!
人間を観察し、研究することを彼は愛の表現だと思っていた。愛しているから知りたいのだと考えた。そしてもはや彼は有限の時間に怯える必要はないのだ。
彼は深い森に閉じ込められた。この人里離れた深い森に閉じ込められてしまえば、いかに人間観察などという道楽ができようものか。
魔女はそう考えて彼を深い森に閉じ込めたのだが、彼は一筋縄でいくような男では無かった。偶然森に迷い込んだ人間を使って、彼は人間観察を続けた。
時に脅迫し、時に金品を使った。迷い込んだ人間を森に閉じ込めて遊ぶこともあった。使えそうな人間は雇うことにした。
人々は森に化け物が住んでいると囁きあった。それでも面白いことに、人々は森に迷い込んでくるのだ。無限の時を手に入れた彼は、再び人々の怒りを買うような真似はせず、実に上手く街に火種をぽつりぽつりと落としては、楽しんだ。
薔薇の花びらなどさっさとむしってしまおうと思ったのだが、獣の毛だらけになった前足ではそう器用にもいかず、さらに薔薇は、思いがけず丈夫だった。それならばと雇った人間に薔薇の花びらをむしらせようとしても、焼こうとしても、薔薇は凜と咲き続け、その花びらを一枚とて落としはしなかった。薔薇は真紅の花びらを美しく保ち続けた。それは魔女の優しさだったが、男にはそれこそが呪いのように思われた。
いつか花びらもつきるだろう。何、そう焦ることもない。彼はそう思い、薔薇をガラスのケースに入れて飾ることにした。

この薔薇の花びらが散り、枯れた瞬間に、彼は真実の化け物になれるのだ!
なんと楽しみなことか。
そうして一年が過ぎた頃、薔薇の花びらは、一枚散った。さらに一年が過ぎ、また一枚が散った。
花びらは散り続け、とうとう最後の一枚となった。



男が人間の数えで、二十三の歳の頃の話である。



プロローグの部分のみです。
シリアスに見えますが、実際は信じられないらい……甘々です。
野獣というより、わんこになりつつある臨也と、もふもふしたがる帝人がいます。
表紙は餅さんに描いていただきました!本当にありがとうございました!

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