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It is my first kiss chu.

折原臨也は人間というものが好きだ。人間というものが面白くて仕方が無い。
かつて、こんなことを唱えた人類学者がいたという。まだ何も教えられていないまっさらな赤ん坊を複数与えられた場合、きっちり同じ育て方をすればまったく同じ考えを持つ人間ができるだろう。一方で、生まれながらに人間というものはある程度人格が形成されていて、たとえどれだけ同じように育てようとも違いは出るという学者もいる。
臨也にしてみれば、その考え自体が面白いと思う。
しかし実際に、同じ考えを持つ人間ばかりができあがるのは人間観察が趣味である臨也にしてみれば全く以て面白くない話である。それに、臨也自身ごくごく普通の両親から生まれたが、ごくごく普通の性格の子供には育たなかった自覚はある。そのため、彼としては後者の説を支持したいと思っている。
算数より理科より人間について学ぶ方が余程楽しい。大体、学校で習う勉強というやつは実践的ではない。生きていくために、自分たちがどういう生き物なのか知ることはとても重要なことだろうに。

黒いランドセルを背負いながら、臨也は日々そんなことを考えている。ランドセルをがしゃがしゃ言わせながら歩く彼の頭の中は、彼の愛する人間でいっぱいなのだ。
今日は、同じクラスの女子に告白された。友達と一緒にやってきた「ほら、早く言いなよ」などとせっつかれながらの馬鹿みたいな告白だ。それを冷めた頭で観察しながら、それでも臨也はいきなり女子に呼びだされて戸惑い、照れくさそうな男子を演じて見せた。ちらちらと期待のこもった眼差しが臨也に向けられ、もじもじとする女子に噴き出さなかった自分はえらかったと思う。
なんという馬鹿馬鹿しさ。
恋心とやらを臨也自身は持ったことは無いが、向けられることは多い。だが所詮小学生。まるでままごとのような感情でしかない。「ごめんね」とフッた直後の女子の顔を思い浮かべる。とても良い子を演じてフッてやったら、傷ついた顔をして、「これからも友達でいてね」と泣きそうな顔で笑っていた。あれは間違いなく「フラれた可哀想なアタシ」に酔っている顔だった。きっと臨也が去った後、友達にたくさん慰めてもらったんだろう。ヒロイン、そう彼女は悲劇のヒロインなのだ。まったく、どこまでも「おままごと」だ。あれはあれで面白いのだが、いい加減飽きてもくるというものだ。
もっとどろどろしたものが見たい。もっとどろどろした屈折した感情を見たいと思う。
それにはきっと、臨也の年齢はまだ足りない。もう少し大人になった時の楽しみというやつだ。

スキップをすると、またランドセルががしゃがしゃと鳴った。来年中学生になる臨也は、もうすぐこのランドセルともお別れだ。スキップなど、我ながら柄ではないと思うが、大人に近づくというのはひどく気分が良いから仕方ない。
人間という生物が形成されていく過程で、幼少期というものがひどく重要であることは、もちろんわかっているが、臨也は子供というものが得意ではない。年の離れた妹がいて、彼女達の面倒をそれなりに見ているから、子供の扱いがわからないわけではない。が、やはり面白くはない。物心がついてからの人間ならば、心のありようがどのように育っていくか、とても良い観察対象になるのだが、それより前はまるで人間とは思えない。子供なのだから当然だが、理性的では無いし、本能で生きている。理屈が通用しない生き物は楽しくない。
そういう訳で臨也は子供があまり好きではない。
だからこそ子供と称される小学生からさっさと卒業したかったし、中学校もさっさと卒業したいと思っている。高校生になったら家を出よう。妹達のお守はしたくないし、自由に動ける時間が欲しい。そうしてその時間を人間観察に費やすのだ。
ああ、楽しみだ。楽しみだ。

またランドセルががしゃがしゃとご機嫌に鳴る。気分もいいし、今日は公園に人間観察にでも出かけようか。カップルのデートコースとなっている近所の公園は人の出入りが多くてなかなか充実したスポットなのだ。さて今日はどんな人間が観察できるだろうか。臨也がご機嫌で公園に足を踏み入れたその瞬間、足元に何かが転がり込んできた。
ボールか何かかと思ったそれはどうやら人の形をしていて、よくよく見れば小さな子供が転んだのだとわかった。わかったからといって、臨也は何かをするでもない。子供は観察する気も無いし、関わる気も無いので転んでいる横を素通りする。すると、転んで微動だにしなかった子供がぷるぷる震えたと思うと、むくりと起き上がった。そしてちょうど通り抜けようとしていた臨也とばっちり目が合ってしまった。

あ、これはまずい。そう思ったが、子供は泣かなかった。
幼い顔を砂だらけにして、膝に擦り傷を作っているのに、泣き声をあげなかった。転んだ子供などびーびー泣くばかりかと思ったら、そうでもないのだろうか。まじまじと顔を見てやれば、その大きな眼に涙は浮かんでいた。唇もふるふると震えている。血が滲む膝も肘も痛々しい。どうやら痛すぎて声も出せないらしい。うるうるとした目で臨也を見つめているばかりだ。泣きたいなら、泣けばいいのに。泣くなりなんなりして、助けを呼べばいいのだ。痛い痛いと泣きわめいて、親に縋ればいいのだ。
本当に子供というのはわからない。しかしなかなか面白い反応をする子供だなぁ、と思う。周囲を窺うが、公園には数組のカップルがいるばかりで、子供の親らしい人間は見当たらなかった。
これは、仕方が無いか。
ふう、と小さく溜息をついた臨也は子供の前にしゃがみこみ「立てる?」と声をかけてやった。
その瞬間、ぶわっと子供の目に涙がこみ上げる。差し出した臨也の手を取ろうともせず、ぴえええと泣き始めた。その声が存外耳触りで無いことに少々驚きつつ、仕方が無く臨也はその子供を抱き上げた。とりあえず擦り傷を洗ってやらなければならないだろう。人間好きを自称する臨也は子供は好きではないが、嫌いでもないのだ。

抱き上げた身体からは子供の匂いがした。小さい体は、臨也の妹達と同じくらいの年の子供のものだろうか。ぴえぴえと泣き続ける子供の背をぽんぽんと叩きつつ、水場まで連れて行ってやる。妹二人の面倒をみてきた臨也には、実は慣れたことだ。
水場についても、子供は臨也にくっついて離れようとしなかった。水が傷にしみることを知っているのだ。無理矢理はがして、蛇口の前に座らせた。いやいやをする子供の目をじっと見て「放っておくともっと痛いよ」と脅してやる。ぴたりといやいやを止めて、子供の大きな目が臨也をじっと見つめる。小さな膝と肘を念入りに洗ってやり、砂をすっかり流してしまった後、臨也は絆創膏を貼ってやった。これまた妹達用に持ち歩いているものである。自分で言うのもなんだが、臨也は案外いい兄をやっていると思う。

「おうちに帰ったら、ちゃんと消毒するんだよ」

絆創膏がぺったり貼られた肘と膝を優しくぽんぽんと叩いてやれば、子供は素直にこっくりと頷いた。しかし静かな子供だ。臨也の妹の片割れは、それはもうとても静かなのだが(何せ単語しか口にしない)、もう片割れは逆にやかましくて仕方が無い。大人しいかと思えばどちらもトラブルメーカーで、手に負えない妹達である。こんな風に素直で可愛い弟でも良かったなぁと、目の前の子供を見ながらそんなことを思う。これだけ素直だったら、臨也の言うことを良く聞くだろうし、将来的に色々便利そうだな、と余計なことも思う。

「うん、いい子。今度は転ばないように、気を付けておうちに帰るんだよ」

男の子らしく短い髪の毛をくしゃくしゃとかきまわしてやると、くすぐったそうに子供は目を閉じた。慣れない仕草に戸惑っているようだ。上に兄弟がいない子供なのかもしれない。妹達は慣れ切ってしまって、こんなこそばゆい顔を最近は全然してくれなくなった。嬉しそうに頬をむずむずとさせた子供は、その小さな唇をおずおずと動かした。

「お兄ちゃん、ありがと……」

ようやく喋ったその言葉に、不覚にもきゅんとした。
ありがとう、なんて、妹達からついぞ聞いたことのない言葉だ。
あんな妹に誰がした。俺はこんな弟が欲しかった。臨也は改めてそう思う。この自分が将来を心配してしまうほど、幼児にして痛い妹達である。こういう普通の素直な子供を前にして、そう思ってしまうことは当然だ。そういう訳で、臨也は子供の頭をたくさん撫でてあげることにした。さらに嬉しそうに顔を綻ばせた子供は、嬉しそうにきゃあ、と声をあげた。子供らしい柔らかい毛は気持ちいい。

「あのね、臨也お兄ちゃん」
「んー?」
「お礼」
「お礼?」

散々撫でくり回して喜ぶ子供に付き合って、身体をくすぐってやって遊んでやったら泣きべそをかいていた子供はすっかり笑顔になっていた。子供の名前は、竜ヶ峰帝人という大層珍しい名前だった。そういえばそんな家ここら辺にあったっけな、と記憶をたどりながら、後で家まで送ってやろうと臨也は思う。
本当は人間観察をしようとこの公園に来たのだが、まあこんな日があってもいいだろう。せっかくだから帝人を手懐けてもいいな、と臨也は思っていた。帝人だって将来的には大人になる訳だし、兄代わりに人一人育ててやるのも楽しいかもしれないと思ったのだ。どことなく賢そうな顔をした子だし、なかなか役立ちそうだ。

「ばんそうこうとね、遊んでくれたお礼!」
「へぇ、なにをしてくれるの?」

きゃいきゃいと笑った帝人は、その小さな手を臨也に伸ばしてきた。その手を望み通りに握ってやって、膝の上にあげてやる。ぐいぐいと、シャツの首周りを引っ張られる。顔を近づけろということらしい。内緒話でも教えてくれるのだろうか。くすりと笑って、顔を帝人に寄せてやる。
帝人の顔が大アップになった。子供らしいくりくりした目がすぐ近くにある。そして次の瞬間、臨也の唇にちょん、と可愛らしい感触がした。少しだけ砂っぽいが、ふにゃふにゃとした頼りない感触だった。

「……えええ?」

一体どういうことだと思わずそう口にすれば、相変わらずにこにこと笑みを浮かべた帝人が「お礼!」と元気良く言った。どうしてそうなった。こんな純和製な顔をしておいて、実は父親がアメリカンで毎日ちゅーしているとか、そう言う訳ではあるまいな。

「お礼なの?」
「だって公園にいるお兄さんもお姉さんも良くしてるよ?」
「そりゃあ……」

そりゃあ彼らは恋人同士なのだから、キスもするだろう。ていうか子供の前で何してんだ。TPO考えろ。帝人の唇に少しだけついていたのだろう砂が、臨也の唇にもついていた。触ってみると、ざらりと砂が指につく。

「ちゅーっていうんでしょ? 仲良しとね、あとね、大好きっていうしるしだよってお母さん言ってたよ」
「ああ、うん。そうだね、それはそうなんだけどね」

肝心なことを教えておけよお母さん。大好きは大好きでも、その大好きには色々合ってだな、と説明してやろうとも思うが、こんな子供に分かる訳も無いと臨也は口を閉じた。臨也の年ですら子供と呼ばれ、恋だの愛だのという感情が完全に理解できる大人では無い。当然、こんないとけない子供にそんな理屈がわかるはずもない。

「……あんまり色んな人にしちゃ、駄目だよ」
「どうして?」
「ちゅーは特別なことだからね」
「ふーん?」
「まあ、そのうちわかるよ」

よもや他でキスの大盤振る舞いでもしているのだろうか、この子は。素直なのは良いことだが、節操が無いのは頂けない。

「じゃあ臨也お兄ちゃんにはしていい?」
「えええ……? どうしてそうなるの」

また気の抜けた声が出た。いやだからそういう意味でもなくて。しかし帝人は、嬉しそうにまた顔を近づけてきた。ちゅー、と楽しそうに声に出して、再び唇が触れ合う。ふにゃふにゃとした感触が楽しいらしい。再び砂がざらりと唇に残った。ちゅーちゅー、としつこく言う子供の唇を、ハンカチで拭ってやる。せめて砂だらけじゃない唇の方がいいと思ったのだ。
唇をごしごしと拭いてやれば、なんだか子供は不満そうに唇を尖らせていた。どうしたのかと聞けば、「ハンカチより臨也お兄ちゃんの方がいい」など随分ませたことを言われた。幼い顔なのに随分渋い表情をしてそんなことを言うものだから、思わず吹き出してしまった。笑われた子供はやはり不満そうに、ますます唇を尖らせる。

「ごめんごめん、笑っちゃだめだったね」
「じゃあお詫びにちゅーして?」
「だからどうしてそうなるの」

将来とんだタラシになりそうな台詞だ。やたらちゅーを強請る子供に呆れたため息を零して、しかし笑ったお詫びに臨也は子供の唇に、キスをしてやった。嬉しそうに子供がきゃあ、とまた声をあげたので、よしとする。

あれ、そういえばこれファーストキスってやつだな、とようやく臨也が気付いたのは、すでに帝人と何回も唇を交わしてからのことだった。





唾つけたっと。
ちなみにタイトルは「はじめてのチュウ」の英訳だそうな。
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