イザミカSSブログ。
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「やあ帝人君」
――この人の登場はいつだって唐突だ。
寝ぼけた頭で、帝人はそう思った。なんて迷惑なことだろう。眠い。まだ寝ていたい。布団に戻りたい。しかしドアを叩く音があまりにうるさすぎて結局帝人は布団からしぶしぶ這い出したのだ。ご近所迷惑だし何より一定のリズムでドアを叩く音が耳障りで寝ていられなかった。壊れかけとはいえ、このボロアパートにだって一応はインターホンなるものが存在する。せめてそれを使ってくれればいいのに、折原臨也はいつだってドアを叩いて、帝人に声をかける。あまり丈夫ではないドアなのだから、そう叩くのはやめて欲しい。
「……おはようございます、臨也さん」
のろのろと起き上がり、のろのろとドアを開けるとすらりとした見目のいい青年が待ち構えていた。寝起きの掠れた声で帝人がなんとかそれだけ口にすれて、臨也はにっこりと綺麗な笑みを浮かべて「おはよう」と挨拶を返す。なんというか、完璧な笑みだといつも思う。自分の笑みがどれだけ魅力的かわかっていて浮かべている笑みだ。美形って本当に嫌味である。
それに比べて自分はといえば。
「ひどい顔してるね」
言われなくてもわかっている。叩き起こされて、今まさに布団から出てきたばかりなのだ。そうそう爽やかな顔が出来るわけもない。寝起きからキラキラと素敵な顔が出来るのは美形だけの特権だ。帝人にはついぞ縁のない話である。別にいいけれど。
「まあいいや。遊びに行こうか」
「何時だと思っているんですか……おやすみなさい」
何が「まあいいや」なのか。悪口を言われた方としてはカチンときたが、それよりなにより眠かったので帝人は丁重にお引き取り願おうと思った。だからそっとドアを閉めようとしたのに、その前にドアの隙間に足を入れられて、さらにドアを手で掴まれて阻止された。
「朝の8時。朝マックやってる時間だよ」
「休日です! 眠いんです!」
なんとかドアを閉じて抵抗しようとするが、寝起きで腕に力は入らないうえに、ドアを掴んだ手に痛みが走り、帝人はぱっと手を離してしまう。結果、ドアはいとも簡単に開けられてしまった。
手に走った痛みに僅かに顔をしかめて、帝人はドアが悠々と開かれるのを見ていた。どうせひ弱な帝人には、普段から臨也に力で敵いっこないのだ。もちろん、力以外のいろいろな点でも敵わない。
たいした抵抗も出来ず、大きく開いたドアに臨也が満面の笑みを浮かべる。
「こんな天気のいい日に寝てるなんて実にもったいない。さ、行くよ」
青空のように爽やかな声と笑みが清々しい。やっていることはどうしようもなく迷惑なことなのに。天気のいい日は昼寝日和なのに。休日だからと夜中までチャットをやっていたから、今日は一日だらだらしようと思っていたのに。遊びに行くことは嫌いではないが、どちらかといえばインドア派の帝人である。
「……って、その手どうしたの?」
帝人の手を掴もうとした臨也が、僅かに眉を寄せる。彼の視線が己の手に向かっていることに気付き「ああ」と思って帝人は口を開く。手には、適当にオロナインを塗ってあり、適当に大きめの絆創膏がはりついていた。
「昨日ちょっと火傷しちゃって」
軽い火傷なら放っておいても良かったのだが、すぐに流水で冷やしたものの、そのままにしておくにはちょっと痛かった。が、一人暮らしの高校生の部屋に品揃えの良い救急箱などあるはずもなく、とりあえず親から持たされていたオロナインを塗り、絆創膏を申し分け程度に貼り付けておいたのだ。しかも包丁で切り傷までこさえてしまっていたので、指先にも絆創膏が巻かれている。手の甲にも大きな絆創膏があるものだから、たいした怪我ではないが、こうしてみるとなんだか重症に見える。
結局臨也の手は、帝人の手を捕まえにこなかったので、手をひらひらとさせ、さして重傷ではないことを主張する。少し左手が使いにくいだとか、お湯を使うのは痛いだとか、そういうことはあるけれど、本当にたいした傷ではないのだ。
「……ふうん」
へらっと笑う帝人に、訝しげな表情を浮かべ臨也は何かを思案しているようだった。少し低くなった声が、帝人の胃にじんわりと響く。何故かこういう瞬間に、この人っていうはちゃんと大人の男なんだよなぁと実感してしまう。響いた声は胃の辺りからじわじわと胸の辺りまで達したようで、帝人の心臓はきゅ、と収縮したようだ。
そんな帝人の様子に気付いているのか気付いていないのか。
相変わらず訝しそうな表情を浮かべたまま、帝人の左手をじっと見つめている。何か変なことでもあったろうか。帝人が首を傾げようとするその前に、臨也の長い指先が帝人の左手にぐいぐいを押し付けられていた。しかも絆創膏の下の傷を的確に狙って。
「いっ! つつかないでくださいよ!」
「ああ、痛かった? ごっめーん」
「痛いに決まってるでしょう!」
つんつんどころか、指先の力をもって思い切り押された。涙目で訴えると、嫌な具合に口端を吊り上げられる。人の不幸を面白がっているようで、しかしどことなく不機嫌そうだ。どこが、と言われてもうまく説明できないのだが――例えば弧を描く口とは裏腹に笑っていない目だとか、笑顔を浮かべているのにどことなくその表情にはちりりと僅かな緊張が滲んでいるところだとか。
「だから謝ったじゃん。そんな事はいいからほら、出かけるから着替えなよ。5分で出てきてね。出てこなかったらこのボロいドア蹴破るから」
この話は終わりとばかりに、さくっと話を切り替えた臨也に、帝人はとうとう諦めた。どうやら外出は免れないらしい。ボロいとはいえ、外と帝人の部屋を分ける大切なドアなので、蹴破られてしまっては困る。まぁいいか、と思いつつ帝人はふぁ、とあくびをする。とにかくパジャマを着替えなければならない。
「あーもうわかりましたよ。15分待ってください。」
「仕方ないから10分ね~」
何が仕方ないものか。朝一番で人の部屋に突撃してくる方が悪いのだ。そう思いつつも律儀に手早く着替える自分にため息が出てしまう。どんなに理不尽な提案だろうと、ここで着替えに10分以上かけようものなら、罰ゲームだかお仕置きだかなんだか知らないがやはり理不尽なことをされることがわかっている。別に女の子のように着飾るわけでもないから、適当にそこらに放ってあったジャージに着替える。さっさと着替えれば、5分は無理でも10分以内に着替えられないこともない。さくさくと着替えてアパートの廊下に戻れば、腕時計に目をやっていた臨也がにこりと微笑んだ。
「……ん、9分27秒。合格ー。ご褒美にマックを奢ってあげる」
「……どうも」
たかがマックでも奢ってもらえるのは嬉しい。貧乏学生はちょっとした支出にも敏感なのだ。もちろん裕福な社会人らしい臨也は、マック以外のものも帝人にちょくちょく奢ってくれたりする。有難いには有難いが、あまり高いものを奢ってもらうのも居心地が悪いので、マックくらいがちょうどいい。
外に出ると、朝だというのに空気が暑かった。夏だ。今日はTシャツ1枚でも良かったかもしれない。じわり、鼻に浮かんだ汗をジャージの袖で拭いながら、横にいる人をちらりと見る。夏でもファー付きコートを着ている彼は見るからに暑苦しい。本人は夏用の薄手のコートだと言っていたが、やはり暑苦しい。だが臨也は汗一つかいていない。新陳代謝悪そうだな、と思っていると、臨也の視線がつと帝人の手に向けられた。いい加減に治療してある左手だ。
「それにしてもその怪我、切り傷と火傷だよね。どうせカップ麺にいれるネギ切ろうとして指切ってそれに驚いた弾みで火傷したんじゃない?」
「なんで知って……!?」
手の怪我の原因を正確に言い当てられて、狼狽する。帝人が慌てる様子に、いやな笑みを浮かべた臨也は、人差し指を立ててくるくるとさせた。芝居がかった仕草がやけに様になっている。
「盗聴器しかけてるからね。あとカメラ」
「犯罪だ! 犯罪すぎる!!」
咄嗟に部屋に戻ろうとした帝人の肩ががしりと臨也に掴まれた。
「じょーだんじょーだん。本当にしかけてたら仮定形で話したりしないで断定口調だしもっと詳しく言うからさ」
「臨也さんが言うと、信用ならない」
確かにそれはそうかもしれないが、そこまで見越してあえて仮定形で話してるかもしれないではないか。つまりはまぁ、信用ならない。盗聴器やカメラが無いか一応確かめておこうかと部屋に戻ろうとするが、臨也にやんわりと背中を押されて止められる。
「本当だってば。ほら、お腹空いてるでしょ。早くマック行こう?」
「……その言葉、信用しますからね?」
隣に立つ臨也を見上げながら、そういうと、またにっこりと笑われた。胡散臭い。けれど、きれいな笑みだ。
「そのまま俺のことを信用してくれていいよ?」
「……それは、臨也さん次第です」
それにはまだ実績が足りない。ぷい、と横を向いて強気にそう言ってやれば、頬を指先でつんとつつかれた。
「ははは! かーわいーぃ!」
「子供扱い、しないでくださいよ」
「子ども扱い? してないよ?」
「うそだぁ」
「ほんとほんと」
どう考えても子供扱いではないか。不満をのせてうそだと責めたその声が、甘ったれたものだと気づいて、恥ずかしくなる。これでは子供扱いされても仕方がない。気付いているのかいないのか、帝人の背を押していた臨也が静かに笑い声をあげた。背中におかれた手が、ゆるりと腰のあたりを、意図をもって撫でてくる。
「……だって子ども扱いしてちゃ出来ないこととか、してるでしょ」
「っ!!」
言われた内容を理解した瞬間、頬がかっと熱くなった。
「帝人君、顔真っ赤だよ? どうしたの?」
わかっているだろうに、わざとらしく聞いてくる。確かに子供扱いするなとは言ったが、そういう意味ではない。咄嗟に思い出してしまった行為に、ますます顔が熱くなった。
「なんでも、ないです」
「何考えた? ねえねえ、何思い出してたの?」
「だから、なんでもないですって!」
堪らず声を荒げると、今までで一番意地の悪い顔をして臨也が笑った。
「俺は単に『夜遅くまでチャットするのは子どもじゃできない』って意味で言ったんだけど、帝人君は違ったんだ?」
もうやだホントこの人嫌だ。やはり子供扱いだ。
こんな風に、人をからかって、遊んで。本当に性格が悪い。
「…………臨也さんの、ばか」
じっとりと睨みつけると、大人げない大人は楽しそうに声をあげて笑った。そういうことをするのだから、信用されないのだといい加減理解して欲しい。いや、人の心の動きに敏い男のことだ、理解はしているのだろう。しかし実行はしないだけで。
「やっぱりもう信用しません」
「信用されないのは悲しいなぁ。でもまあ、その分俺が帝人君を愛してるから」
「ああ、そうですか」
「うん、そうだよ」
うんざりと口にしても、上機嫌のままだ。
「はぁ、もういいです。マック行きましょう」
「そうだね」
「腹立ったらお腹すいてきました」
「じゃあいくらでも頼んでいいよ」
「そうします」
いいようにあしらわれて遊ばれるだけとわかっているので、帝人は相手にしないことにした。すたすたと早歩きをして臨也を置いていこうとするが、当然リーチに差があるのですぐに追いつかれてしまう。
すぐに帝人に追いつき、隣に並んだ臨也がやはりにこにことこちらを見てくる。
絶対子供扱いだ。いつでも高いところから「あーはいはいよしよし」と頭を押さえつけられているような気分になる。臨也はそれを「帝人くんが可愛いからだよ」といつも言うけれど、明らかに馬鹿にされているようなときだってある。
悔しいから朝マック二人前頼んでやろう。でもそんなに頼んでも食べられない気がする。そうしたら、ファーストフードがあまり好きではない臨也に押しつけてやろう。たとえ渋っても食べさせてやろう。勿体ないし、無理矢理食べさせてやる。……やはり三人前頼んでやろうか。臨也なんて、カロリーの取りすぎてメタボってしまえ。
つらつらくだらないことを考えていると、帝人はふと違和感に気付いた。
気のせいだろうか。
――いや、でもやはり。
「……あれ?」
「ん? どうかした?」
思わずあげた声に、臨也が反応する。彼の顔を見て、「あ、やっぱり」と思う。でもまぁ口に出すほどでもないかと思い、帝人は言葉を濁した。
「いえ……ちょっと」
「……何?」
しかしそれは、臨也のお気に召さなかったようだ。訝しげな顔をして追究してくる。口に出すほどでもないが、わざわざ臨也の機嫌を損ねてまで黙っていることでもない。じ、と臨也を見つめながら帝人はぽそっと口にした。
「……や、今日は手を繋がないのかな、って」
「………」
不意を突かれたらしい臨也はぽかんとした表情を浮かべた。その表情を珍しいなぁと眺めつつ、少しだけしてやったりの気分になる。いつもにんまりと細められている目がきょとんと丸くなっているのは、可愛い。思わずまじまじと見つめていると、はっとした臨也がすぐに表情を取り繕った。いつものように、食えない笑みがすぐに浮かべられる。
「……ああ、何、そんなに俺と繋ぎたかった?」
「いえ、別に」
完全に調子を取り戻したらしい。にやにやしながらそんなことを言ってくるので、ばっさり即答してやった。やはりさっきの表情は貴重だったのだな。よくよく記憶しておこう。
「またまた~! そんなに言うなら繋ごっか!」
臨也が手を差し出した。別に、帝人とて手を繋ぎたくないわけではないので、帝人も手を差し出す。マックに行くまでの短い距離くらい、朝くらい、……いいだろう手を繋いでも。恋人らしい接触は帝人だ嫌いじゃないのだ。
「……」
そこで再びはた、と違和感。
帝人の左隣にいたくせに、なぜか臨也は左手差し出してきた。なので帝人は戸惑いつつも右手を差し出した。くるりと二人の位置を交換することになった。不自然だ。その違和感に心の中で、あれ、と首を傾げる。普段、臨也は帝人の左隣を歩くのが定位置になっている。だから帝人は己の左手を彼の右手と繋ぐのが常だ。
ぎゅ、と繋がれた右手を引き寄せられた。思いのほか強く握られた右手に、ああ、なるほどと理解した。
多分。おそらく。
帝人の勘違いでなければ、臨也に気遣われたのだろう。
怪我をした手では、手を繋ぐのも痛いだろうと。だから、無傷の右手と手を繋ぐために、臨也は左手を差し出したのだ。
らしくないことをする。
なんていうか、可愛い人だと思ってしまうではないか。
繋がれた右手で、ぎゅうと彼の左手を握りしめた。応えるように、握り返された。無傷な右手ならいくら握りしめられても痛くはない。暑さに手のひらは汗ばんでいるけれど、それも気にならなかった。
「ほら、早く行くよ」
「あ、はい」
注文する朝マックは、やっぱり二人分に減らしてやろうと思う。
フライドポテトを嫌そうな顔で口にするだろう臨也を思い浮かべて、帝人はくすりと笑みを浮かべた。目敏く気付いた臨也が、少しだけ渋い顔をしたのが面白くて、帝人は今度こそ声をあげて笑ってしまった。
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